恋×シンアイ彼女を考えようの会①~奴隷との生活編~
※ネタバレしかありません。
最初に言っておきます。筆者は両作ともにそこそこ好きです。優劣なんかほぼほぼありません。
発売一周年、それすなわち恋×シンアイ彼女。というわけで、恋カケ一周年。なにはともあれ、恋カケ一周年。時間なんてものは勝手にすぎるのでおめでとうとかいいません。
昔、今作の長文感想をエロスケに投げたことがあります。1万以上回覧されたのに1票も入らない恐ろしい魔文です。
発売当初、やたらと炎上していました今作ですが、個人的には思い入れもあんまりありませんし、客観的な立場で論ずることが出来るような気がします。
というわけで、全二回を予定しております恋×シンアイ彼女を考えようの会。今回は奴隷との生活を絡めて考えていこうと思います。
奴隷との生活、これは一時期超はやった同人ゲームですね。調べてみたらWikipediaにも記事があって驚きです。
簡単に言えば、奴隷として虐げられていた女の子に優しくして心を開いてもらってエロいことをしようというゲームです。身も蓋もありませんが、そういう話です。
セルフイラマチオがエロいので、かなりお世話になっています。あとパパとかお父さんと呼ばせると股間がヤバい。抜きゲーとしてはトップクラスに好きだったりします。
あと、同人誌とかでやたらと傷が薄く描かれていたりすると、すごくもやっとした気持ちになりますね。
「え?これと恋カケなんの関係もないじゃん。お前頭大丈夫か?」と、そんな意見が聞こえる気がしますが、意外な関係があるのです。そう、それは発売時期がほぼ同じだということです。
かたや、恋×シンアイ彼女は、ヒロインが主人公を二度裏切り二度失踪し、炎上しました。
かたや、奴隷との生活は、ただただプレイヤーにとって都合のいいシルヴィちゃんとの甘々な日々で大好評を得ました。
これの対比が非常に面白いです。
すごくないですか? これが同じ時期に出てるなんて。
今の時代のオタクが何を求めているのかも、これで自明です。
そう、我々がほしいのは都合のいいヒロインであって、二度も裏切る女ではないのです。当たり前ですね。当たり前ですが、これがもう少し前の時代だったら恋カケだって別に炎上しなかったでしょう。知りませんけれども。
今、オタクは母性や癒やしを求めています。バブみ()とかいう言葉も一時期はやりましたね。それは何故か。現代社会が荒んでいるからでしょう。
現実が辛いのだから、フィクションでも辛い気持ちを味わいたくないのです。筆者もそうです。
だから、客商売であるエロゲーという媒体において、恋×シンアイ彼女は、作品として不適格と言わざるをえないでしょう。
しかし、忘れないで欲しい。
姫野星奏は不幸ではあったが、自らの運命を主人公に頼らずに切り開きました。
一方のシルヴィちゃんは、結局のところラッキーでプレイヤーに助けられただけです。いわば幸せになるために、プレイヤーの欲を満たすために、不幸になっていました。個人的にはプレイヤーが洗脳のきれいなところだけしている気がして気持ちが悪かったと思う。
どっちのほうが幸せでしょうか? 筆者にはわかりません。ですが、どちらがより人間らしい生を送っているのかといえば、間違いなく前者だと、筆者は勝手に思っています。
新島夕は、恋×シンアイ彼女を通して、ヒロインの人格について訴えたかったのかもしれません。
最後に、
Q.彼女の性格が悪いのが多い・・・
— パワポケしつもんコ~ナ~bot (@pawapoke_QandA) 2016年9月26日
A.彼女たちは主人公のためにいるわけじゃないです。自分の幸せのために生きているわけです。そう考えれば、そうひどい人間じゃないと思えませんか?そんなことで女の子に絶望しないでください。